1月16日から社長含めた3名で東京へと出張に行ってきました。
16日は明治神宮で参拝をし、夜は賀詞交歓会に参加しました。
普段、こういった場所に参加しないのですごく緊張しましたが、勉強になるお話も聞けてとても良い経験になりました。
会場のシャンデリアに花の模様があってとても可愛かったです(^^)
賀詞交歓会が終わって外に出てみれば、素晴らしい夜景が広がっていました!
レインボーブリッジを見ると東京に来た!という感じがして感動しました 😆
他にスカイツリーや浅草などにも行きました。
450mからの眺め。快晴でしたが遠くの方が霞んでて残念 😥
沢山の工事現場が見えてちょっとわくわくしました 😆
大きな工事現場を見るとわくわくするのは職業病ですかね 🙄 ?(笑)
浅草寺です。沢山人がいましたが、外国人が多くて日本を代表する観光地なんだと再認識しました。
少し気になったので、浅草寺について調べてみました。
”推古天皇36年(628年)、宮戸川(現・隅田川)で漁をしていた檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟の網にかかった仏像があった。これが浅草寺本尊の聖観音(しょうかんのん)像である。この像を拝した兄弟の主人・土師中知(はじのなかとも、「土師真中知」(はじのまなかち)とも)は出家し、自宅を寺に改めて供養した。これが浅草寺の始まりという。その後大化元年(645年)、勝海上人という僧が寺を整備し観音の夢告により本尊を秘仏と定めた。観音像は高さ1寸8分(約5.5センチ)の金色の像と伝わるが、公開されることのない秘仏のためその実体は明らかでない。平安時代初期の天安元年(857年。天長5年(828年)とも)、延暦寺の僧・円仁(慈覚大師)が来寺して「お前立ち」(秘仏の代わりに人々が拝むための像)の観音像を造ったという。これらを機に浅草寺では勝海を開基、円仁を中興開山と称している。天慶5年(942年)、安房守平公雅が武蔵守に任ぜられた際に七堂伽藍を整備したとの伝えがあり、雷門、仁王門(現・宝蔵門)などはこの時の創建といわれる。”
(Wikipedia より引用)
東京大空襲で本堂などが焼失しましたが、1000年以上も前の物が現代に残っているのはすごいなと思いましたし、スカイツリーから見た街並みも大空襲から75年程でここまで再建するなんて日本人の技術の凄さを実感しました。